学習会
「もんじゅ」西村裁判を闘った西村トシ子さんに聞く
長崎原爆の材料がプルトニウムですが、高速増殖炉「もんじゅ」は、『純度の高いプルトニウムを増産する夢のエネルギー』として宣伝された。しかし、どこの国でも失敗して撤退しているのですが、日本は、未だに、「もんじゅ」を動かそうとしています。
1995年12月8日に「もんじゅ」がナトリウム漏れの事故を起こしました。動燃は、事故現場を撮影したビデオを公開しますが、それは編集されたものだったことが判明しました。翌年1月12日に、動燃はビデオ隠しの関与を認めましたが、経過に不明な点が多く追加調査を約束した。しかし、ビデオ隠しの社内調査担当でその記者会見に参加していた西村成生さんが翌日宿泊していたホテルの敷地内に倒れているのが発見されました。警察は、遺書があるからと「自殺」と断定、解剖もしませんでした。しかし、妻のトシ子さんは、夫の死に不自然なものを感じ、独自の調査を始めました。1、ホテルの8階から飛び降りたのに、頭や首などどこの骨も損傷していない。また、警察の死亡推定時刻が1月13日の午前5時頃としているのに、病院の深部体温27度による死亡推定時刻は13日の午後10時から午前1時頃だという。記者会見が終わったのが夜の10時頃で、ホテルにチェックインしたのが、午前0時45分と言われている。ホテルでは、ホテルに泊まったかどうかも、ファックスのやり取りをしたというその情報も一切教えてくれません。等々不自然なものが多く、トシ子さんは、「自分が声を上げなければ、夫の死は闇に葬られる。子ども達にお父さんは自殺ではないと言いたかった。そして、人の命を犠牲にしてまでやらなければいけない高速増殖炉とは、何か。刑事事件で訴えたかったが弁護士がいないため、民事訴訟で、動燃が「自殺」というなら、動燃に部下の安全義務違反であると、損害賠償を求める訴訟を起こしました。しかし、今年の1月31日、最高裁は、上告の理由に該当しないと却下しました。それでも、トシ子さんは、裁判がダメならまた、方法を考えて多くの人に訴えていきます。と力強く語っていました。
参加者からも「絶対、自殺じゃない」と意見が出ていました。トシ子さんの闘いはこれからも続きますが、私達も共に、国策である原発を廃止にするまで頑張っていこうと思いました。多くの方のご支援、ありがとうございました。